「私のご近所遺産〜まつもとブラリ街歩き」(第1回) 『小さな神社いくつかと単信坊(たいしんぼう)』

「ご近所遺産」という言葉は私の造語でそんな言葉はないのです。街なかにひっそりと存在していて、壊されずに残って欲しいと勝手に思っている建造物などを、これまた勝手にそう呼んでいます。

 

 

育った家の近くにクランクが連続する細い道路があって、その一角に小さなお稲荷さんがありました。というか今でもあるのですが、子供の時から「誰が管理しているのだろう」と思っていました。所有者は誰なのか、とか。そんな神社や祠は、少し注意してみると街中いたるところに存在します。

  例えば当店近くの「菅沼神社」。

 

菅沼青果店に隣接していて非常によく手入れがされています。菅沼さんのものであることは多分間違いないと思うのですが、特定の姓を冠しているのが謎といえば謎です。どんな縁起(由来)なのでしょうか。

 

 東に足を伸ばすと県道沿いに「耳聞(みみきき)神社」という珍しい名前の神社があります。

 

 小さい神社ですが、敷地内の欅はかなり大きくて歴史を感じさせます。実は今年、ある偶然から、近隣に住んでいらっしゃるHさんというお宅がこの神社を管理していることを知りました。それも自治体から委託されているのではなくて、代々引き継いでいるというのです。

 耳の聞こえを受け持つ神社は全国でも非常に珍しく、今でも願掛けをされる方がいるそうです。ご自分でも詳しい由来は分からないとのことで、そこがかえって面白いなあと感じました。

この県道は拡幅工事が進んでいますので、その影響が気になります。

 

 さて、表題の「単信坊」です。

 

「たんしんぼう」ではなく「たいしんぼう」と読みます。女鳥羽川桜橋近くにある小さなお堂で、祀られているのは同名の僧侶(1656-1728)。僧侶としての栄達を捨てて生涯を近在の子供のために捧げ尽くしたと伝えられ、自分はその無理がたたって病のうちに亡くなりました。

 

 

 お堂は、地元の町会とお堂からも近い浄土宗の寺院、林昌寺(りんしょうじ)によって管理されています。

 

 歴史的には無名の、でも確かに実在した僧侶を大切に祀っていることが珍しいと思いますし、明治期に再評価されて顕彰の活動が復活したらしく、その経緯も知りたいところですが、何より私は、路地を入った奥にあるお堂の佇まいがとても好きで「重要ご近所遺産」に認定しているのです。

 縁日は9月のはじめ頃にあります。平成22年頃に(町会の方に伺ったのですが、記憶が不確かですみません)お堂を改修した時から毎年行っているとのことで、最近になって始まったのですね。

 

 「単信坊」の遺志に基づいて「あんころ餅」が売られるほか、お楽しみは「ヨーヨー釣り」だけという至って簡素なお祭りですが、「林昌寺」が運営する幼稚園の園児たちが、親に手を引かれて三々五々やってくる様子は大変心が温まります。

 

果たして「単信坊」本人は、こうして400年近い時を超えて自分の遺徳が偲ばれると想像したでしょうか。 

(了)